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左ききのエレンが好きな話

夜明け前の東京の路地で、若い人物が左手にスプレー缶を持ち、抽象的なグラフィティで覆われた巨大な壁を見上げている

ふとしたきっかけで「左ききのエレン」を読み始めたとき、これは今まで自分が好きだった漫画とは少し違うかもしれない、と思いました。

普段好きな漫画の話

普段よく読むのは、呪術廻戦や東京喰種、進撃の巨人みたいな作品です。ジャンルはバラバラでも、これらには共通したものがあります。

過酷な状況に追い込まれた人間が、それでもどうにか生きようとする話。どうしようもない力の差の中で何かを決断して、その重さを引きずりながら進んでいく登場人物たちが好きなんだと思う。

読んでいると辛くなることも多いですが、その辛さの中に何か本質的なものが宿っている気がして、やめられない。心が震える。

左ききのエレンは少し違う

左ききのエレンも、過酷さという意味では似たものがある。天才と凡人の残酷な格差、夢に向かって努力しても届かない壁、広告業界という競争の激しい世界での消耗。

でも、少し違う種類の過酷さだと思います。

呪術廻戦や進撃の巨人の辛さは、どこか異世界的な絶望ですよね。この世界では起こり得ない種類の残酷ですが、だからこそ鮮烈に刺さるものがあります。

左ききのエレンの辛さは、もっとすぐそこにある。広告代理店の締め切り、才能への嫉妬、「好きなことで生きていく」ことの実際。見ていると「ああ、これは本当にあるやつだ」と思う場面が多いなと思います。リアルですよね。

痺れる現実

作中にも登場した言葉ですが、自分の中でしっくりくる言葉が「痺れる現実」です。

起こりうる話、でも直視するのが少しきつい話。それが絶妙なリアルさで描かれているから、読んでいるとじわじわと痺れてくる。

主人公の朝倉光一が、天才のエレンを前にして自分の限界を知りながらも走り続ける姿。夢を持って東京に出てきた若者たちが、それでも現実の壁にぶつかっていく様子。

それを「エンタメとして楽しめる」のは、自分が今その痛みの直中にいないからかもしれない。でも完全に他人事でもない。その距離感が、ちょうどいい刺さり方をしてくる。

原作版の最近はフィクショナルな集中力バトルみたいな感じになってますけどね。それはそれで好きよ。